がん告知について再び
がんの告知については、このブログで何度か取り上げてきました。
私の舌癌の場合もそうでしたが、今やがんの告知は当たり前になっています。
そんな中、知人から興味深い話を聞いたのでここにご紹介します。
◎医師は、がんの告知よりも『告知の仕方』に配慮すべき
私が住む九州のある地方での出来事です。80歳を超える男性患者とその娘さん夫婦の3人が病院で医師から「腎臓がんの末期ですね」と告げられたときのことです。
医師は患者や家族の顔を見ることもなく、検査データだけを見ながら冷徹に話したそうです。
娘婿は「それで手術や抗がん剤治療などは…?」と質問したそうですが、その質問を遮るかのように医師は「無駄です。治療法はありません。もう、平均寿命を超えているし…」と言い放ったそうです。
末期がんと告げられたがん患者さんは、肩を震わせ言葉もなく立ち去ったといいます。
そのガン患者さんには、別の病院で抗がん剤による治療が提案されたとのことですが、患者は「もうだめばい」と自分に言い聞かせるようにつぶやき、治療を受けることもなく告知されてからわずか数ヶ月で逝ったといいます。
娘夫婦は、なんら配慮のない医師の告知の仕方が、父親の生命を縮めてしまったのではないかと憤ったそうです。
同じがんでも初期から末期まであります。最近では医療の進歩によって初期がんの多くは治療が可能になりました。
しかし、末期がんではその望みはありません。そこで問題になるのが告知です。
初期のがんで治癒の見込みが高い場合には癌と告げられても希望を持つことができますが、末期がんの場合はどうでしょう。
「治療の方法はありません。手術や抗がん剤は無駄です」などと言われれば、がん患者はその日から生きる希望を失うのではないでしょうか!
一方、残された時間が限られているのなら、あえて余命を告げて、限りある時間をその人らしく過ごしてもらいたいと考えることも理解できます。
あくまでも私見ですが、がんの告知は今や当然ですが、医師には『告知の仕方』『告知の言葉』に細心の配慮をいただきたいと思います。
がん患者は、自分のがんが治るものなのか、治らないものなのか、ある程度は感覚的に分かるといいます。
たとえ末期がんで余命いくばくもないとしても、そのがん患者がその人らしく最期までいられるような告知方法はないものか…?
今回、知人から話を聞いて、強くそう思いました。
スポンサー私の舌癌の場合もそうでしたが、今やがんの告知は当たり前になっています。
そんな中、知人から興味深い話を聞いたのでここにご紹介します。
◎医師は、がんの告知よりも『告知の仕方』に配慮すべき
私が住む九州のある地方での出来事です。80歳を超える男性患者とその娘さん夫婦の3人が病院で医師から「腎臓がんの末期ですね」と告げられたときのことです。
医師は患者や家族の顔を見ることもなく、検査データだけを見ながら冷徹に話したそうです。
娘婿は「それで手術や抗がん剤治療などは…?」と質問したそうですが、その質問を遮るかのように医師は「無駄です。治療法はありません。もう、平均寿命を超えているし…」と言い放ったそうです。
末期がんと告げられたがん患者さんは、肩を震わせ言葉もなく立ち去ったといいます。
そのガン患者さんには、別の病院で抗がん剤による治療が提案されたとのことですが、患者は「もうだめばい」と自分に言い聞かせるようにつぶやき、治療を受けることもなく告知されてからわずか数ヶ月で逝ったといいます。
娘夫婦は、なんら配慮のない医師の告知の仕方が、父親の生命を縮めてしまったのではないかと憤ったそうです。
同じがんでも初期から末期まであります。最近では医療の進歩によって初期がんの多くは治療が可能になりました。
しかし、末期がんではその望みはありません。そこで問題になるのが告知です。
初期のがんで治癒の見込みが高い場合には癌と告げられても希望を持つことができますが、末期がんの場合はどうでしょう。
「治療の方法はありません。手術や抗がん剤は無駄です」などと言われれば、がん患者はその日から生きる希望を失うのではないでしょうか!
一方、残された時間が限られているのなら、あえて余命を告げて、限りある時間をその人らしく過ごしてもらいたいと考えることも理解できます。
あくまでも私見ですが、がんの告知は今や当然ですが、医師には『告知の仕方』『告知の言葉』に細心の配慮をいただきたいと思います。
がん患者は、自分のがんが治るものなのか、治らないものなのか、ある程度は感覚的に分かるといいます。
たとえ末期がんで余命いくばくもないとしても、そのがん患者がその人らしく最期までいられるような告知方法はないものか…?
今回、知人から話を聞いて、強くそう思いました。


